保坂壮彦日記

ALL IS LOVE IS ALL

書くこと

 

音楽を聴いて喜怒哀楽を感じることはあるが、文章を書いているときに喜怒哀楽を感じることはない。これは当たり前のことだろう。だって音楽を聴いている時は受け身で、文章を書いている時は創出しているときだからだ。

 

「創出」

 

いま、なんで僕は「創出」なんていう言葉を思いついて書いたのだろうか。わからない。どっかの本屋で立ち読みをした小説に書いてあった文字でも無いし、テレビやラジオやあれやこれやの外堀から降ってきたものでもない。なんで思いついたのか解らない。そもそも僕は本を沢山読む性質でもないし、言葉を巧みに操る詩人でも無い。なのに書くことをすると、なんか、口語では絶対に使わない言葉がたまに出てくる。

 

ということは、こういうことです。

 

今更言うまでも無く、このブログと言う名の日記という名のなんとも言えない、僕の掃き出し文章は、何のテーマも持たずに、ただ文字を打ち続けて、その場その場で揺れ動く何かをアウトプットするために書いている。いや、するためじゃない。書き始めてから、終わりまでただただ、書くことだけをやっているだけだ。これってなんなんだろう。表現?なのかな。

 

ハッキリ言うと、書くことが好きなのか?といわれれば、好きと答えると思う。けれども。書くことが得意なんか?ととわれれば、いやそれはちょっと…となる。好きでも得意じゃ無いと思っているから、あんまし書かないことが増えて行っているのかも知れない。でも好きならば書くことを止めないだろうと思うわけだけど。。。って、こうなってくると、もう迷宮入りです。独り言の何かが螺旋階段を上ったり下ったりして、脳味噌をぐるぐる回る言葉をただ乱暴に紡いでキーボードを叩いてぽん!っと変換してエンターキーを押しているだけ。

 

書くこと

 

人に感動を与えるなんて思えない。自分の言葉で。

 

自分の言葉で人の人生を変えるなんて。それこそ思いたくもない。

 

なんで、今ここで、何かを書いているんだろうね。

 

不思議でしょうが無い。

 

そんなとりとめもないことを書くために、書き始めたわけではないし、何か結論をバシッと決めたかったから書き始めたわけでもないのに、書いちゃってるし。書いちゃったから終わりにしないと終わらないから。このへんで書くことを止めることで、今回の日記を終わりにしてみます。

 

なんだかな、これ。

 

数日後、数週間後、数ヶ月後、数年後。

 

いつでもいいや。

 

この日記、振り返って読んでみたいね。

 

空洞です。