2023年が終わろうとしている。
アジカン後藤正文と音楽関係者が選ぶ2023年のベストアルバムはhttps://t.co/lmaHdm7wnL#onlyindreams #アジカン #後藤正文
— 音楽ナタリー (@natalie_mu) 2023年12月26日
今年も、ASIAN KUNG-FU GENERATION、Gotch (後藤正文 / Masafumi Gotoh)のレーベルサイト「only in dreams」にて「2023年ベストアルバム」に参加させていただきました。
今となっては、何者よ?と思われそうな輩がこのような場で続けて参加させていただいていることだけで嬉しい限りであり。かつ、2023年に生まれ出た音楽、アルバムを私の偏愛じみたセレクトで皆様に開陳する行為にとても恥ずかしさも感じつつ。“じゃあ、みんなはどう?”という気持ちが溢れてくるようで。音楽はほんと何よりも大切なものだよなって思います。
当たり前のようで当たり前ではない日常。
それを音楽が教えてくれる、たくさん。
世界中を見渡すと、当たり前の日常が破壊されている場面に出くわす。
当たり前とはなんぞや?ということだが。“平穏無事”とでもいうのか。はたまた“平和”とでも言えばいいのか。何が当たり前なのか。それは環境が創り出すその人の心持ちであろうか、と考える。至極強烈極まりない辛い状況にいる、という人を、客観視して、人は、“可愛そう”と思う。でも、その対象人物自体が“いえ、全然平気っす”と思っているのならば、それは平和で当たり前の日常なのだろう。それを、強制することを他者は行うことは憚れる。正義と悪の論理とも繋がる考えかと思う。
年末、終わりにて思う。
幸せとはなにか。
希望とは夢とはなにか。
僕が本当にやりたいことはなにか。
毎年のように思うのだ。
そしてその答えはまだ出ていない。
今有る目の前の仕事に没頭することで、毎年年末のこの季節はえぐいくらい忙しい。そして年を越して新たな気持ちで生活を始める。それなりに“変わろう”とする決意をする。何か新しいものを、と、思いを馳せる。しかし、だ。目の前にあるものに忙殺されて、また迷宮入りする。迷宮というか。自分の今置かれている環境に馴染み、忙殺される。見えなくなる。目の前は見えるが、ちょっと先の方。きっとそっちにあるだろう景色。やりたいこと。やれずにいること。そういう物を見失う。精気を失って、失望する。すると、やはりここじゃない“何か”を探してしまう。そんなラビリンスに陥る。不毛な生活かな。そうなのだろうか。
疲れを理由に乱雑に文章を書く。
やはり音楽なのだと思う。
音楽という麻薬・魔法を知ってしまった僕は、逃れられない。
自分にはないそこに何かがあると思うから。非日常的な何か、と、日常と地続きの、何か、だ。何なんだろう、音楽って。
なんで音楽を好きになったんだろう。
いやもしかしたら音楽を好きでいると宣言することで安定を求めているのかも知れない。
不安なんだろうか。
不穏なのだろうか。
今年は身近な存在が天命を全うした場面に多々出くわした。その中でも、我が師匠である佐藤剛という人物が、この日常から旅だったことが、なんとも言えぬ感情で未だにこびり付いている。
なんともいえぬ気持ち。
そして、ハッキリと言える気持ち。
揺らいでいる。
我が師匠から授かったものを、生かすも殺すも自分次第。
こそ、音楽にとってはそこだ。
音楽はそういうことだ。
繋ぐ。人を繋ぐ。
繋がった途端、音楽は無尽蔵に感情と人と環境を跨ぐ。
そのカラクリに惑わされることで、喜怒哀楽が生まれる。
そうだ。
2024年は、もっと、こんがらがってやろうじゃないか、と。
思う。
来年の俺、まってろよ、行くから、僕が。
きっとうまくやってるだろうけど。ソレ違うかもね。
そんな会話が出来れば本望だ。
守りたいけど、突破したい。
何億回目のはじめの一歩を踏み出すぞ。
行くぞ。