保坂壮彦日記

ALL IS LOVE IS ALL

夜ドラがおもしろすぎだ。

 

とある親愛なる友人から勧められて、見はじめた、夜ドラがおもしろすぎだ。

 

 

僕は映画やドラマなど。所謂映像作品を音楽を聴くように頻繁に観ることがあまりない。けれど、観てしまうと何処の誰よりもハマる。ハマりやすい。なので、そっちに自分が持って行かれないように、自制しているところもあったりする。映像作品に感情移入しすぎる性分なので。自分の日々がドラマティックではないからして、映像作品でドラマティックな何かを求め刺激を受けて感動するとか、ちょっと辛い。音楽だってそうかもしれないけれど、まだ映像が無いだけに自分らしい画角で絵を心で描けるから。

 

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『あなたのブツが、ここに』は、2022年8月22日からNHK総合「夜ドラ」枠で放送中のNHK大阪放送局制作のテレビドラマ。主演はNHKのドラマ初主演となる仁村紗和
2020年10月、コロナ禍でどこか投げやりだった主人公の女性が、キャバ嬢から宅配ドライバーに転身し、様々な困難に立ち向かいながら、前を向いて自分の人生を肯定できるようになっていく様を描くヒューマンドラマ。wiki引用。

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ヒューマンドラマか。まあそうかな。そう言われると。それよりもあれなんです。コロナ渦を描くドラマとしてとてもリアリティがある。

 

もう、僕らの生活は、コロナ以前に戻れない。だからして、あたかもコロナ渦がなかったようなドラマは、新作であろうがなんであろうが、過去のおとぎ話なのかも知れないと思う。

 

だから、とても興味深く、面白く観させてもらっている。

 

【脚本】 櫻井剛

 

櫻井さんとはかなり前になるが、お会いしたことがある。

 

櫻井さんといえば、「マルモのおきて」が代表作と言われる。

 

彼の作品は、最高だ。

 

きっと、令和の寅さんを作らせたら彼が一番適任かもしれない。

 

久しぶりにお会いしたい。

 

直接つたえたい。

 

すごいよ!

 

【KAKUBARHYTHM 20years anniversary special Vol.03 日時:2022年8月28日(日) 会場:よみうりランド遊園地内 らんらんホール 出演:片想い / 三田村管打団? and more】を観て、泣いて笑って感動して言葉が出ないので写真と動画で日記を綴ります。

 


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眠気には、勝てん。

 

うたた寝が苦手だ。

 

あー、暇だから寝るかっていう、自主的に眠るのが苦手だ。

 

もっと言うならば、夜寝るまで。眠くなるまでに布団に入ることも苦手だ。

 

普通の人は、眠いから寝る、じゃなく。寝るから眠くなる、らしい。きっと。

 

そうは言っても、こんな社会に生きている以上、明日起きる時間は決まっている。だいたいは。それに合わせて睡眠時間も調整し。「今寝たら…何時に寝れば…5時間は睡眠とれるから、寝るか」という睡眠へのカウントダウンをする。ことの方が多い。ちょっとしたプレッシャーだ。睡眠障害ではないと、思う。寝れないから毎晩酒を飲んでいる、というわけでもないと、思う。ていうか、死に物狂いでのたうち回って心身共に疲弊しているのならば、毎日寝るのだろう。でも、そこまで日々、身を削いでいないのかもしれないと、思うのだ。

 

それでも、日中、眠気に勝てなくなるときがある。

 

急に眠くなる。急に。こんなタイミング?っていう時に。家で、阪神タイガースの試合を観ながら。逆転するんじゃね?っていう盛り上がりの時とかに、落ちる。寝る。数分後に起きたら、負けてたりする。まじかーってなって、それでもまだ眠気に負ける。ここまで来ると、このまま布団の中に潜り込んでしまえと、思うが。夜の時間はまだまだ長い。もったいないと思い。起きたい欲求で、すぐ寝ない。

 

その状態が、今だ(笑)。

 

数時間前には寝落ちして、眠くて眠くてしょーがねーかったんだけども、今こうして日記を書いている。するとますます目が覚めてくる。

 

ちょっと大袈裟にいうと、眠るってことって、今日を終わらせる行為なんだよね。終わらせるってことは今日を死ぬっていうことと思ってしまうのです。でも明日起きれば、新しい今日が始まり、二度と同じ日が来ないという今日を生きるのですよ。そんなことをわかっていたり、わかっていながらも、今日を終わらせるのがもったいなくて、積極的に眠れない。

 

ちなみに、寝起き、最悪です。

 

目が覚めた瞬間から、希望に満ち満ち溢れた感じ?心身共に「おはよー!!」とはならん。

 

なんでなんだろうなぁ。

 

明日起きたら、ラジオ体操でもやっってみればいいのかな。

 

なんだかわからんが、眠気には勝てんのだ。

生きている

 

自分のインスタの投稿を自分のブログで紹介するという暴挙。

 

約8−10年のお付き合いの、ガジュマルの話。

 

出会いはとっても気軽な感じ。近所の100均に行ったら売っていたガジュマルを購入。育てようとも思わずに家に置いていたら、まあ、生き生きと成長するわするわ、ということで、翌々年にもうひとつ100均でガジュマルを購入し、2つ同時に我が家に住まわせられることになった。

 

ガジュマルは生命力が強く。無精で億劫な僕でも、多少、ほっておいてもすぐに枯れない。

 

数年経っても、生きている。

 

何年目経った頃だっただろうか。

このままふつーに育てているだけではつまらない。なにかしら園芸的な?なにかしら盆栽的な?わからんけれど、もっと隆々しく、南国に生える樹木のように迸る生命力を見せ付けるようなどでかい樹木に育てたいという欲求が溢れ出して。なんとかデカくしてやろうと思ったけど。そもそも、埼玉の地で売られているガジュマルっていうのは観賞用であり。どうやったって大きくならないし。一年中高温多湿な地域じゃないので、冬場は家の暖かいところで生かせなければならないから、庭に地植えすることもできないことを知る。

 

ならば、2つのガジュマルを合体させちまえ、ということで、苗木をうまーく絡ませて一つの鉢にして、今現在のガジュマルの姿になりました。

 

それでも、ただ彼等を育てるだけじゃ、なんか意味が無いな、と思い。時には夏場に丸刈りにして幹を太くさせる方法を伝授されてやってみたり。枝を剪定して、剪定した子供達を他の鉢に移して、新たなオリジナルガジュマルを生み出そうとしたりして。あれやこれやして、今に至る。

 

 

未だにこのガジュマルを今後どうしていいのか分からない。

 

このまま生かし続けることは可能。

 

でもそれが僕の本望なのか?ガジュマルの本望なのか?わからない。

 

種を増やしたところで、命が増えるがそれは誰が求めることなのか?わからない。

 

一番分からないのは、盆栽的に、芸術作品として成り立たせること。やりたくない。

 

とはいえ、自然のママにすると、ボウボウと葉が生えてとりとめも無い姿になる。だから手入れはするけれど、どこまで手入れすればいいか、わからない。いや、何もせずに育て続けることでいいのかもしれないが、どこかで僕の育てたガジュマルは、他の誰のガジュマルよりも最高だぜ?と自慢したいところもある。けれど、自然に育つ命を僕の手で邪魔したくない。けれど、なんとかしたい気持ちが溢れる。生粋の天の邪鬼が僕のガジュマルのこれからの生き様を邪魔しているような気がしてならない。

 

とりあえず、今年は株分けをして、種を増やしてみました。

 

親木はもっと図太くなるように、飽きが来るまで太陽燦々・湿気ムンムンで育てます。

 

秋が来るまで。

 

冬直前、ガジュマルが絶えきれない外気温になるまで。

 

外で自由に生命力を発揮してもらうことにする。

 

その後は、家の中に連れ込んで、一緒に寒さを凌ぐ季節に入る。

 

不思議な植物なんです。

 

ガジュマルは。

 

出逢えてよかったな。

 

 

 

 
 
 
 
 
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泣いてしまうので

 

中学まで野球少年でした。

 

野球大好きでした。

 

でも、好きと上手さは比例しないのです。小学生からずっと野球をやってましたが、一度もスタメンに選ばれることなく。ベンチを温める、銀縁メガネの目立たない、たまに代打で出させてもらえるような選手でした。それでも野球は好きだったので、高校生になっても野球部に入ってしまうかもしれない恐怖症がにょきにょき出てきてしまい、志望していた高校に合格したにもかかわらず、そこに野球部があることを理由に進学をあきらめて。県内の野球部がない公立高校を受験し、入学しましたのです。だって、そこに、目の前に野球があったら、好きだから、下手でも好きだから、野球部に入ってしまいそうだったから。それならば、どうあがいても野球が出来ない環境に入り込めばいいという、浅はかでありとても勇気のいる決断をしたことを、毎春、毎夏、思い出す。

 

甲子園。

 

今年も熱い戦いが繰り広げられているけれど、数年前くらいから、あまり真剣に見ないようにしている。だって、泣いてしまうので。

 

なぜかって?

 

年取ると涙もろくなるの。それもそうだけど。やっぱり、中学で諦めた野球への思いが未だに、その時点の記憶で止まっているからだと思う。すんげえ年取ったけど、未だにあこがれの甲子園に行くために、高校野球を目指そうとしている気持ちが根付いているようだ。

 

とはいえ、ちらちら、ニュース映像は見てしまう。

 

ちらちらね。

 

どっしりみたら、泣いてしまうからね。

まだ途中だけど

読み始めました。

まだ途中だけど。

高橋久美子という「ひと」の日常が綴られたエッセイ集。

奇遇にも全く知らない「ひと」ではないので、所々で、あ、あんときのか?な?とか。

自分史とも重なる日常が重層的に入り込んでくる。

それでも、彼女の日常とは全く違う日常を過ごしているので。

“そんなのしらんわ”

っていうことも沢山あるので、

“ふーん”

ってなることもある。

これを読了した時に、なにが残るのだろうかという期待もあり。

すでに、彼女の日常に触れた時に生まれた感情が、散文的に今刻まれているので。

なにかを、感じ取って、自分の日常と絡まりはじめているような気もする。

 

やべ。

 

まだ、途中だった。

 

野球で言うと、5回の表裏の攻撃終了。

グラウンドの整備はいりまーす、みたいなタイミングかな。

 

書くこと

 

音楽を聴いて喜怒哀楽を感じることはあるが、文章を書いているときに喜怒哀楽を感じることはない。これは当たり前のことだろう。だって音楽を聴いている時は受け身で、文章を書いている時は創出しているときだからだ。

 

「創出」

 

いま、なんで僕は「創出」なんていう言葉を思いついて書いたのだろうか。わからない。どっかの本屋で立ち読みをした小説に書いてあった文字でも無いし、テレビやラジオやあれやこれやの外堀から降ってきたものでもない。なんで思いついたのか解らない。そもそも僕は本を沢山読む性質でもないし、言葉を巧みに操る詩人でも無い。なのに書くことをすると、なんか、口語では絶対に使わない言葉がたまに出てくる。

 

ということは、こういうことです。

 

今更言うまでも無く、このブログと言う名の日記という名のなんとも言えない、僕の掃き出し文章は、何のテーマも持たずに、ただ文字を打ち続けて、その場その場で揺れ動く何かをアウトプットするために書いている。いや、するためじゃない。書き始めてから、終わりまでただただ、書くことだけをやっているだけだ。これってなんなんだろう。表現?なのかな。

 

ハッキリ言うと、書くことが好きなのか?といわれれば、好きと答えると思う。けれども。書くことが得意なんか?ととわれれば、いやそれはちょっと…となる。好きでも得意じゃ無いと思っているから、あんまし書かないことが増えて行っているのかも知れない。でも好きならば書くことを止めないだろうと思うわけだけど。。。って、こうなってくると、もう迷宮入りです。独り言の何かが螺旋階段を上ったり下ったりして、脳味噌をぐるぐる回る言葉をただ乱暴に紡いでキーボードを叩いてぽん!っと変換してエンターキーを押しているだけ。

 

書くこと

 

人に感動を与えるなんて思えない。自分の言葉で。

 

自分の言葉で人の人生を変えるなんて。それこそ思いたくもない。

 

なんで、今ここで、何かを書いているんだろうね。

 

不思議でしょうが無い。

 

そんなとりとめもないことを書くために、書き始めたわけではないし、何か結論をバシッと決めたかったから書き始めたわけでもないのに、書いちゃってるし。書いちゃったから終わりにしないと終わらないから。このへんで書くことを止めることで、今回の日記を終わりにしてみます。

 

なんだかな、これ。

 

数日後、数週間後、数ヶ月後、数年後。

 

いつでもいいや。

 

この日記、振り返って読んでみたいね。

 

空洞です。