保坂壮彦日記

ALL IS LOVE IS ALL

中村一義 BAND LIVE 2024 『これにあり。』 所感と雑記。

 

久しぶりの、中村一義のライブ。バンドセットでのライブ行ってきました。

 

というわけで、中村一義というアーティストのことを久しぶりに文章で綴ることになりました。いやはや、あまりにも膨大な記憶と歴史と想い出と…たっぷりありすぎて。昨日のライブの感想をすらっと書くのもなんかいやだなって思いつつ。溢れかえる沢山のことを関連させて文章を綴ると途方もないことになってしまうという、勝手な重圧を背負い込んでしまっている、今。なんなんだろうな…。

今回彼のライブに足を運ぶことになったきっかけは、こちら。

allisloveisall.hatenablog.com

 

このことが無ければもしかしたら観に行かなかったかも知れません。

 

自分が今まで歩んできた音楽の世界。そこにあった沢山の歴史と景色を思い出すきっかけになったこと。そして様々な人との再会が重なり。今の自分、これからの自分ってどこに向かって行くんだろう?と。さらに、中村一義というアーティストの今は?これからは?ということを目に、耳に、焼き付けないといかんだろうと。そう思い立ってライブに参戦した次第です。

場所は、LIVEHOUSE FEVER。

チケットはソールドアウト。

 

ライブ前のBGMはビートルズ。ポールマッカートニー名義の曲も流れていたかな…ライブ後もビートルズだった。

 

今回のライブのバンドメンバーは、
Vo.中村一義
Gt.三井律郎(LOST IN TIME)
Gt.伊東真一(HINTO/SPARTA LOCALS)
Ba.中村昌史
Dr.吉澤響(セカイイチ
Cho.あずままどか

中村君曰く、『一座』と読んでいたメンバーでのライブ。初見参。予想を遙かに超えるロックバンド。中村一義のライブで様々なメンバー形式でライブを観てきたけれど、現在進行形の彼にとって、最高のメンバーであると感じた。

 

演奏されたセットリストはこちらでポストしてますのでご覧あれ。
※ほんとかどうか?記憶違い勘違いあるかもしれません。あしからず。

 

今回のライブのテーマは“愛”だとMCで中村君が言っていました。さらに、“ホーリーな…”という言葉も。“こんな時代だから…”と。

 

ブログの冒頭にも書きましたが。ライブで演奏された全ての楽曲を、1曲1曲、浴びながら。リリースされた時の記憶。過去のライブで演奏された記憶。個人的な想いが沢山溢れかえって。どうにもならない…。心が魂が揺さぶられました。時空が歪みました。今が今じゃないようで、でも、過去も過去じゃないし。

 

ほんとならば、所謂“ライブレポート”のようなものを書き記すことも可能なのかも知れませんが。繰り返しますが、私自身の想いがあまりにも多く強く重いのでやめておきます。すみません。。。

 

ただひとつ言えることは、彼が、音楽を鳴らし生きていたこと。

 

必至に唄い、“愛”を、音楽で届けていたこと。

 

そんなライブを目の当たりに出来たこと、感動、感無量です。

 

新曲、「これにあり。」も、彼の新境地を伺えるポップミュージックでした。ライブMCで、“僕の曲は全部名曲だから(笑)”と言ってたけど。そんなんわかってるし。ていうか、そんなこと言えるアーティストいねえよって心で突っ込み入れました(笑)。

 

このブログを読んで下さっている方の中には、保坂壮彦っていう輩は、昔っから中村一義のことを、あーだこーだずっと言い続けているよなって思いますよね。そう思って下さるみなさまが、まだ、いてくれるのであれば、なんか本望だなって思います。完全なるエゴです(笑)。はい。それよりも、中村一義といえば保坂壮彦(笑)というようなことを知って、“ん?なんで?”という方もいらっしゃるかと思いますが。これ、説明しだしたら終わりなき旅になってしまいますんで。僕に直接聞いて下さい(笑)。それか、時間の流れとともに粗野なHPとなってしまっている、私のサイト『ALL IS LOVE IS ALL』を見て頂ければ幸いです。

 

と丸投げするのも如何なモノかと思いますのでサクッと説明します。

 

僕は。

中村一義というアーティストがデビューしてからずっと彼の作品を聴いてます。彼の活動に携わる仕事もしていました。DJとして彼の楽曲を沢山流し続けています。色々ありました。沢山やりました。他にも沢山のアーティストから影響を受けたり、携わることもありましたが、彼に変わるアーティストは未だ自分の前に現れてきません。

 

中村一義は素晴らしいアーティストです。

 

多分これからも彼から産まれる音楽を望み聴き続けるでしょう、絶対。

 

だから行きましょう、生きましょう。

 

先に逝ってしまった方々に心から感謝するとともに。

 

永遠なる音楽ですべてのみんなとまた出逢えますように。

 

いこう。

 

 

2024年がやってきた。

 

年が明けた。

2024年がやってきた。

 

いつもと違う年明け。

 

“新年明けましておめでとうございます。”という言葉が刹那になるようなことが立て続けに起こった。“一年の計は元旦にあり。”という言葉が淘汰されてしまうようなことが起きてしまった。

 

本来ならば、年明け早々。

このブログを更新しようと思っていたが、今だ続く苦しみを思うと、個人のなにやしかを発信するのが困難。で。今に至る。

 

愛しています。

 

僕は、一緒に生活を共にする家族を、愛しています。

その家族が生活をするにあたって、繋がっているみんなも愛すべきです。

その連鎖が広がれば、この世界にいる人々全てを愛すべきで、憂うべきで。

 

それでも、愛します。

 

天変地異で起こった出来事。

人為的策略で起こった出来事。

 

原因は、調べれば、時間の流れとともに解明されるでしょう。

 

その過程でいる、今。

 

自分の気持ちをどうするか。

葛藤の中、2024年がやってきました。

 

誰が悪いわけでもなく、誰が善でもない。

 

そんな気持ちでいる自分は苦しい。

 

この苦しみを噛み締めること、今はそれしかない。

 

 

2023年が終わろうとしている。

 

 

www.onlyindreams.com

 

今年も、ASIAN KUNG-FU GENERATION、Gotch (後藤正文 / Masafumi Gotoh)のレーベルサイト「only in dreams」にて「2023年ベストアルバム」に参加させていただきました。

 

今となっては、何者よ?と思われそうな輩がこのような場で続けて参加させていただいていることだけで嬉しい限りであり。かつ、2023年に生まれ出た音楽、アルバムを私の偏愛じみたセレクトで皆様に開陳する行為にとても恥ずかしさも感じつつ。“じゃあ、みんなはどう?”という気持ちが溢れてくるようで。音楽はほんと何よりも大切なものだよなって思います。

 

当たり前のようで当たり前ではない日常。

 

それを音楽が教えてくれる、たくさん。

 

世界中を見渡すと、当たり前の日常が破壊されている場面に出くわす。

 

当たり前とはなんぞや?ということだが。“平穏無事”とでもいうのか。はたまた“平和”とでも言えばいいのか。何が当たり前なのか。それは環境が創り出すその人の心持ちであろうか、と考える。至極強烈極まりない辛い状況にいる、という人を、客観視して、人は、“可愛そう”と思う。でも、その対象人物自体が“いえ、全然平気っす”と思っているのならば、それは平和で当たり前の日常なのだろう。それを、強制することを他者は行うことは憚れる。正義と悪の論理とも繋がる考えかと思う。

 

年末、終わりにて思う。

 

幸せとはなにか。

 

希望とは夢とはなにか。

 

僕が本当にやりたいことはなにか。

 

毎年のように思うのだ。

 

そしてその答えはまだ出ていない。

 

今有る目の前の仕事に没頭することで、毎年年末のこの季節はえぐいくらい忙しい。そして年を越して新たな気持ちで生活を始める。それなりに“変わろう”とする決意をする。何か新しいものを、と、思いを馳せる。しかし、だ。目の前にあるものに忙殺されて、また迷宮入りする。迷宮というか。自分の今置かれている環境に馴染み、忙殺される。見えなくなる。目の前は見えるが、ちょっと先の方。きっとそっちにあるだろう景色。やりたいこと。やれずにいること。そういう物を見失う。精気を失って、失望する。すると、やはりここじゃない“何か”を探してしまう。そんなラビリンスに陥る。不毛な生活かな。そうなのだろうか。

 

疲れを理由に乱雑に文章を書く。

 

やはり音楽なのだと思う。

 

音楽という麻薬・魔法を知ってしまった僕は、逃れられない。

 

自分にはないそこに何かがあると思うから。非日常的な何か、と、日常と地続きの、何か、だ。何なんだろう、音楽って。

 

なんで音楽を好きになったんだろう。

 

いやもしかしたら音楽を好きでいると宣言することで安定を求めているのかも知れない。

 

不安なんだろうか。

不穏なのだろうか。

 

今年は身近な存在が天命を全うした場面に多々出くわした。その中でも、我が師匠である佐藤剛という人物が、この日常から旅だったことが、なんとも言えぬ感情で未だにこびり付いている。

 

なんともいえぬ気持ち。

そして、ハッキリと言える気持ち。

 

揺らいでいる。

 

我が師匠から授かったものを、生かすも殺すも自分次第。

こそ、音楽にとってはそこだ。

 

音楽はそういうことだ。

 

繋ぐ。人を繋ぐ。

繋がった途端、音楽は無尽蔵に感情と人と環境を跨ぐ。

 

そのカラクリに惑わされることで、喜怒哀楽が生まれる。

 

そうだ。

 

2024年は、もっと、こんがらがってやろうじゃないか、と。

 

思う。

 

来年の俺、まってろよ、行くから、僕が。

 

きっとうまくやってるだろうけど。ソレ違うかもね。

そんな会話が出来れば本望だ。

 

守りたいけど、突破したい。

 

何億回目のはじめの一歩を踏み出すぞ。

 

行くぞ。

 

剛さんへ捧げた音楽

 

 

佐藤剛こと、剛さんの『偲ぶ会』が先日、執り行われました。『X』にポストした通り、私、保坂壮彦、『音楽担当』として当日参加いたしました。その際、セレクトした楽曲をこのブログで紹介いたします。

ここからは、かなりの文章量で、僕と剛さんの想い出をたっぷり書き連ねています。もし、楽曲だけ知りたいというかたがいらっしゃいましたら、飛ばし読みしてもらっても構いません。

僕の知っている剛さんならば、僕の無駄が沢山盛り込まれている長文も、まあ許してくれると思い書いておりますので…ご理解の程を…。

 

僕は剛さんと、2000年からファイブ・ディーという音楽事務所でご一緒させていただくことになり。ファイブ・ディー時代は、主に剛さんのアシスタントを担当しておりました。数年後、ファイブ・ディーを離れてからも、様々な場面で関わることもありましたが、最後にお会いしたのは2013年頃だと記憶しています。それから、約10年。このような形で剛さんと再会することになるとは…。それも僕より長きに渡って深い繋がりを築いてこられた関係者の皆様が集う『偲ぶ会』に、音楽プロデューサーであった“佐藤剛”を送る場で、僕が、音楽を鳴らす役割を担うことになるとは。感謝極まりないとともに、“ほんと、僕でいいのか?”という。それでも、このような場を与えて頂いた関係者各位、及び、見えざる力で僕を誘ってくれた、剛さんに改めて、御礼申し上げます。

 

剛さんとの出逢いは突然でした。

 

きっけは、中村一義というアーティストでした。

 

当時、CDショップ『WAVE』のロック&ポップス担当をしておりながら、“天才”といわれた中村一義の音楽にとてつもない衝撃を受けて。90年代の邦楽アーティストも色々と聴くようになり。かの田中宗一郎氏編集長の『snoozer』を読み漁り、洋楽・邦楽・ジャンル関係無く、“今の時代に鳴り響くロックンロール、ポップミュージック”の全てを聴き手として受け取り。紙面と連動する形でコーナー展開したり。中村一義が作品をリリースする度に、全ての音楽好きリスナーに向けて、洋楽好きな人にも。ロックを聴かない人にも。『snoozer』という雑誌の持つ良い意味での雑多性の力を借りて、彼の音楽を紹介し続けていました。

 

そして、時は、2000年。中村一義が『ERA』なるアルバムをリリース。この作品の素晴らしさを僕の言葉で伝えたいと言う衝動に駆られて、誰の許可も得ず、勝手に「『ERA』全曲解説」というフリーペーパーを作成(後にネット上に掲載したアーカイブこちらにあります)。とはいっても、冊子のような大仰なものを作るのでは無く、ただただ白紙に文字を書き連ねて印刷して試聴機の横に置いて、“ご自由にお持ち帰り下さい”というような超アナログな粗雑な形で言葉を認めた、想いを込めたものを配布することにしました。

 

そもそもこんなことする僕なんで、言わずもがな、幼少期から音楽大好きな男で。学生時代から、アマチュアバンドでドラムやギターをやったりしてて。音楽に携わる仕事がしたくて、アパレル業界からCDショップに転職したという経歴。とはいえ、アーティストにはなれない・なる器じゃないと、諦念。それよりも世にある無数の音楽を聴き漁り、自分が良いと思う音楽を流し伝え、さらに言葉に記して一人でも多くの人にCDを手にしてもらい、本物の音楽を伝え広げたいという欲求を果たすため、DJとして、さらに、“物書き”としてのライター業に興味を持ち。CDショップに入社して、小売店という最前線で働いて、そんな夢を果たすべく野望を持っていました。

 

個人的な内容、書きすぎ、長くなる、閑話休題

 

『ERA全曲解説』のことに話を戻します。このフリーペーパーが、とある中村一義ファンの手元に届くこととなり。当時、SNSなんぞなかった時代。「BBS」というものがありまして。そこで僕らは見知らぬ人たちと交流を図っておりました(※知らない人はこちら)。その方が、事務所オフィシャルの「BBS」に“CDショップに保坂さんという人が『ERA全曲解説』なるものをフリーペーパーで配布していて…”という投稿をしてくれまして。それを目にした僕は、感極まり。投稿にレスをしつつ。メルアドも公開していたので、その方に直接御礼を伝えたのです。そうしたら、その方から返信が。“中村君の事務所の社長?という方から、『ERA全曲解説』を読みたいから送って欲しいと言う連絡がありました”と。いやはやそれならば、僕から直接連絡をさせて下さいっていうことで、事務所の社長に僕から直接『ERA全曲解説』をお送りすることになり。折り返し社長からご連絡、あり。“直接会いたい”と…。それが、佐藤剛氏。あの剛さんであることは知る由もなく…。

 

なんでこんな僕に会いたいのか?わからず。どちらかといえば恐怖。緊張です。単なるCDショップの店員に会いたいなんて…。

 

たしか、新宿のとある喫茶店だったと記憶しています。しかし、何を話したか?忘れました(笑)。あまりの緊張と、僕と会ってなにをしようとしているのか?不安のまま会話は進んで行きました。ただ、ひとつだけ覚えている言葉があります。

“君、プロデューサーになりたいと思わない?”

いきなりです。そんなこと思ってませんでした。

プロデューサー?って何?でした。

しかし、即答しました。

“はい!なりたいです!!”と。

“じゃあ、いつでもいいから事務所に来て”と。

それがファイブ・ディーです。

 

剛さんとのこの出逢いで、僕の人生が様変わりしました。

 

ファイブ・ディーに入ってからは、剛さんのアシスタントとして常に剛さんの傍にいながら、様々なものを吸収しつつ、想像を超える沢山のこと。音楽事務所のスタッフとして行う多種多様なこと。事務所スタッフを超えること(DJ保坂壮彦がスタートしたのもファイブ・ディーに入ったことがきっかけです)。など。書き切れないほどの沢山の出来事がありました。その後、ファイブ・ディーを離れることとなりますが、剛さんに音楽業界の世界に誘われたことで、その後、今に至るまでの自分の人生が形成されたと言っても過言ではありません。

思い起こせば、剛さんに褒められたことよりも、怒られたことの方が多かったかも知れません。当たり前です。右も左もわからないド素人でしたから。そんな輩を連れ込んだのは剛さんでしょ?と矛盾を感じることも多々ありました。それでも剛さんの独自の感性から生まれる、音楽に対する愛には僕の感性と通じるものが沢山ありました。だからこそ、この僕に声をかけてくれたのだと思います。音楽の在り方、音楽の創り方、音楽の聴き方。全て学びました。全てが、僕の音楽観からしても、心や魂で共有できるものでした。学びながら叱咤激励されながら、音楽で会話出来ていたのかも知れません。音楽で共感できていたからこそ、剛さんを好きで愛することが出来たと思います。

 

もし、剛さんがいなければ、今の僕はここにいません。

 

いや、剛さんと出逢って無くてもそれなりの人生を歩んでいたかも知れません。

 

しかし、出逢ったからこその素晴らしい人生を歩んで来れたと思います。

 

改めて閑話休題

本題に戻ります。

 

今回の『偲ぶ会』で『音楽担当』を遂行するにあたって、「剛さんが影響を受けた音楽」と「剛さんがプロデュースした音楽」をセレクトする作業から始まりました。僕が直接剛さんと関わった年数は、彼の人生の経った数年しかありません。それ以外の剛さんの軌跡を様々な関係者の方々から教えて頂きながら…。

特に当日配られた冊子。「佐藤剛 1952 - 2023」の年表にはかなり助けを頂きました(編集に携わったみなさま感謝の意を捧げます)。それらをもとに、僕なりに、いや、剛さんだったらこうだろう…という想いを込めてセレクトしました。そして、当日、足を運んで下さった皆様が『佐藤剛』を偲ぶこと。各々の想い出を振り返られるように、音楽を介在として滞りなく、空間を淀みなく、心地よく、邪魔にならないように。むしろ、音楽が鳴っていることでさらに剛さんへの想いをより深められるように、『音楽担当』を成し遂げました。

当日のタイムテーブルの都合上、事前にセレクトした音楽全てを流すことは出来ませんでした。それでも、セレクトする作業自体が僕の中ではとても重要で。剛さんの生涯を音楽で旅するような。勝手に剛さんの音楽遍歴を一気に体感するような経験をさせていただいたこと。誰も経験できないことを仰せつかったこと、本当に感謝します。

 

以下、当日用に作成したプレイリストを2つ公開します。「佐藤剛『偲ぶ会』1/2」が「剛さんが影響を受けた音楽」で、「佐藤剛『偲ぶ会』2/2」が「剛さんがプロデュースした音楽」になります。2つとも大まかに年代順にセレクトしておりますが、基本、順不同です。さらに、この楽曲の中から何を流したか?は敢えて記載しませんし、これが“佐藤剛のすべてだ”とも断言できません。剛さんを知る沢山のみなさまのご意見を頂きつつも、あくまでも僕がセレクトしたものなので、どうしたって独断と偏見は入り込んでしまっています。あの曲やあの人がいない、ともなるでしょう。それもこれも踏まえて、ご理解いただきますようお願い申し上げます。
さらに、サブスクで配信されていない音楽もセレクトしました。それらの楽曲はこのプレイリストの下に記載させて頂きます(amazonYouTubeに音源があるものはリンクを貼ってます)。こちらもご理解頂ければ幸いです。

open.spotify.com

【サブスクで配信されていない音楽でセレクトしたもの】

・SWEET PIANO~POPULAR STANDARD / 中村八大

 ※このアルバムからは、複数曲セレクトしました。

黄昏のビギン/ ちあきなおみ

・Que Sera Sera/Super Bad
・ホッパーとポッパー/中村一義
4 little joeys/Kiiiiiii
ファイト!/アナム&マキ
ちぎれた愛/西城秀樹
ブルースカイブルー/西城秀樹
カタログ/西城秀樹

 

以上です。

剛さんありがとうございます。

音楽は永遠です。

ならば、剛さんも永遠です。

だから、僕は、音楽を愛し続けます。

 

これからも、剛さんを、愛し続けます。

 

 

 

元ファイブ・ディー

佐藤剛のアシスタント

保坂壮彦

 

 

僕は音楽が大好きです

僕は音楽が大好きです。

 

幼少期からずっと音楽を聴いてきて、ギター弾いたり、ドラム叩いたり、それでアマチュアバンドをやったり。DJというものもやり始めたり、沢山聴いてきた音楽知識を自己流の感性で文章にしたためたり。音楽を生み出すアーティストとお会いしてインタビュアーということもしてきました。それとともに日々音楽を聴くライフスタイルを今でも続けています。

 

しかし。僕は音楽が好きすぎて音楽を聴かないときがあります。

 

聴きまくっている時は、全ての街の喧騒をシャットアウトしてまでも音楽に全身全霊を捧げていました。職業柄そういう場面が多かった。しかし、今は、敢えて聴かない選択肢を選ぶこともあります。自然音、環境音、雑音、話し声、などなど。鳴るモノ全ては音であり。受け取り方によっては楽しめる。それも音楽だと思うようになったのです。とはいえそれは作品ではなく、日々の偶然の賜です。

 

あえて音楽を聴かなくなると、精気が衰えます。

 

聴かない選択肢をしていると、気づかぬうちに疲弊します。自分でそうしているのにそうなります。わかっているので、敢えて強引に音楽を聴こうとするのですが、疲れます。聴く事で疲れるんだよなってなります。聴く事に対して、身構えてしまうのです。そういうときはFMラジオを聴きます。Spotifyなども聴きますが、自分の関連音楽、お勧め音楽がやってくるので、ちょっとしんどい。聴かない選択肢をしつつ、ふとやってくる音楽にやられる体勢を整えるのです。

 

それが負の連鎖になります。

 

聴きたい聴きたくないとか言っておきながら、結局聴きたい、音楽必須の人間になっていることに気づくのです。それは、自分が絶対的に好きな音楽、アーティストが新作をリリースしたとか。温故知新になりますが、ソレきっかけで、自分からアプローチして音楽を聴こうとするのです。

 

すると、音楽大好き保坂が芽生え、健康になります。

 

健康になるんならずっと音楽聴けよ、と。突っ込みを自分に入れますが。最近はこういう紆余曲折を経ないと、音楽が自分の原動力であることに気づくことにならないのです。仕事上、聴かざるをえない環境が暴力的にやってくる過去の日常の環境と一緒で。結局は、音楽を大量に浴びているときも、自ら音楽を聴くのがしんどくなる。今置かれているように、浴びていなくても、しんどいときがある。健康になるのにね。

 

僕は音楽が大好きです。

 

今日という日に、2つのアルバムが飛び込んできました。

 

2つのアルバムのアーティストは昔から、心の底から愛しています。

 

故に裏切られたら、マジへこみして、音楽離れが加速するかもしれないとおもいつつ。

 

聴きました。

 

やはり裏切らない、最高です。

 

youtu.be

 

youtu.be

 

 

SAMBA

テレビをつけたら、とあるCMが飛び込んできた。

 

youtu.be

 

T.REXだ。

いやぁ、かっこいいよなぁ…。
「Cosmic Dancer」じゃん。

youtu.be

 

adidasさん、センスありますな。

ていうか、T.REXならなんでもいいんだけどね、俺。

 

思い起こせば、中学生の頃。時は80年代初頭。所謂、MTV世代。洋楽を聴き始めた頃、ビルボードのヒットチャートを聴きまくり。地上波の深夜番組でMV(昔はPV)を見まくっていて。DURAN DURANの沼にハマる。ただただカッコ良かった。特にアンディー・テイラー(gt.)に惚れる。学生時代ちびだった俺。彼もちび。DURAN DURANの音楽はどちらかというとニューロマンティックと言われており。電子音ピコピコ系。アイドル扱い。みんなハンサム。そんなバンドでギターをかき鳴らすという彼の姿に惚れた。

youtu.be

特にね。ギターカッティング。ギターソロとかじゃないんよね。カッティング。そこに惚れてしまった。何故そこに行ったのか?わからないけれど。カッコ良かった。そんな彼が、ジョン・テイラー(Ba.)と一緒に作ったバンド、THE POWER STATION。大好きだ。今でも。そのバンドがカバーしていたのが、T.REXの「Get it On」だ。

youtu.be

 

ロバート・パーマーのことや、シックのこと。ナイル・ロジャース、トニー・トンプソンのこと。後々色んなことを知ることになるけれど、とにかくこの曲にずっぽりはまる。そして、中学卒業とともにエレキギターを買って、カバーしまくる。2弦と3弦を押さえまくり弾きまくる。とにかくカッティング。2フレ3フレが削りまくれるくらい。

やばい、長くなる。

そんな経緯で、リアルタイムの音楽を聴きながら。はじめて自らの耳で聴いて好きになり。過去の音楽を自らの手で漁りまくって、全ての音源を聴く事になったアーティストがT.REXなんです。当時、「カバー曲です」といわれても、「カバーって何?」という知識薄な中坊。そこから、漁るようになった。80年代に70年代の音楽を。既に、ボーカルのマーク・ボランはこの世にいなかった。

いやはや、そういうことでして。

T.REXと言えば、「20th Century Boy」ですかね。

youtu.be
有名っすよね、いやあ、かっけーなー。

他にも沢山あるよ、あるよ。

今日の気分はこれ。

youtu.be
最高よ。

というわけで。

adidasさんのおかげで久しぶりにT.REX聴きまくり。

そして「SAMBA」の靴を欲しくなった。

CM効果。

いい顧客がここに生まれそうですよ、adidasさん。

 

いいことがあった

久しぶりにいいことがあった。

 

ここ最近、ネガティブandモチベ下がりモードだったんだけど、ちと「報われる」出来事があって、一気にハイテンションになった。「報われる」なんて仰々しい言い方だと自分でも思うんだけど。ちょっとしたお褒めがあるだけで、グイーンと上がる性格で。逆もあり。人からしたら「んなことで、凹んでたら…」というようなことでも地獄の底に行く性分なんで。

 

そんなルンルンな気分でいると。いつもは全く視界に入らないような、幸ある福ある場面に遭遇するもんで。

 

なんの変哲もない一般道を車で走っていたら。歩道を歩いている親子に遭遇。そんなこといつでもあるんだけど、父親らしき男性に手を握られ、歩いていた3歳くらいの女の子がすれ違いざまに、オレの目をガン見して、手を振ってくれた。

 

オレだって幼少期の頃。線路沿いに佇み。電車が来たら、運転手に向かって、意味なく手を振っていたことがある。路線バスの運転手に、手が千切れるくらい、手を振った記憶もある。しかし。オレの車はそんな稀有な車体でもないし。かっこいいわけでもねーし。貴重なレアな存在を醸し出しているわけでもないのに。何故か満面の笑みで手を振ってくれた。

 

あまりの突然の出来事で、倍返しくらいの勢いで、微笑み返しand片手で手振り返ししたかったんだけど、我、運転中。危険だわ。しかも、連れの父親らしき人はオレの存在を認識していないわけで。いきなり対向車のおじさんが、ニカっとした表情で、連れてる女の子に手を振ったら、「あいつ怪しくね?」ってなるだろうと。数秒の間に、脳みそフル回転させて、結局。引き攣った、プチ微笑み返しで、すれ違うことになった。

 

世知辛い。

 

でも、泣きそうになった。

 

その子はオレを知らない。オレもその子を知らない。その子は誰にでも手を振って笑顔を振りまいているのかもしれないけれど、受け手のオレは、作り笑顔を日々いろんなシチュエーションで演じている。

 

天真爛漫。

 

破顔一笑

 

無邪気というものは一生無敵だね。

 

邪気を取り払って、楽しむこと。

 

今日の数秒間の出来事で思い出した。

 

感謝。