保坂壮彦日記

ALL IS LOVE IS ALL

2021 → 2022

今年は、感謝。

感謝です。

感謝を常に心に刻み日々生きます。

 

まだまだ全感情を解き放つことが困難で。全行動が弾け飛ぶことも許されぬ日々が続く中。そんな中でも、今日ある全ての景色出来事人モノに感謝の意を捧げることを愚直なまでに続けて行こうと思っています。

 

有り難いことにありがとう、と。

不快なものや悪も含めて感謝感謝、と。

出来うる限り全肯定で行くことを宣言します。

 

途中、破綻することもあるのは重々承知。

 

それでも、ここまできたらやったろうじゃないかっていう意志。

 

どうやら時代は変わったらしいのです。一人悶々と苦しもがいている様に陶酔する美学はもうとうの昔に終わったのです。漆黒の闇の反対側には目が潰れるくらい眩しい光があるのを知ってしまったのです。

 

逆らうことをやめます。

受け入れて、流れて、流れの行くままに生きます。

 

そんな新年の所信表明。

 

お粗末。

 

 

50

 

50

 

とうとう50です。

50歳になりました。

 

いやぁ、まじっすか。いやぁ、まじなんすよね。

 

いつ頃から「僕は●●歳まで生きる」っていうのを意識したのだろうか。生まれたての頃はそんなこと考えもしなかったのは当たり前。幼稚園のころだってそうだろうに。小学生になったって、そんな自分の生きる年数を意識していたことなんてあるわきゃないし。中学生か…。うーん。何歳まで生きるだろうとかはまだまだ思っていなかった気がする。高校生になった頃には少しずつ意識していただろうかな…。

 

根っからの音楽好きなので。雑多に音楽を聴き始めてからは、アーティストの生き様ってやつも意識するようになって。そうだなぁ…最初に寿命というものを意識させられたのは、かのT.REXマーク・ボランを好きになった頃なのかもしれない。

 

www.tapthepop.net

 

30歳まで生きられないと断言していた彼は本当にその通りに30歳手前で亡くなったという事実を知ることになってはじめて、僕はいつまで生きるのだろうか?ということを意識し始めたような気がする。さらに、所謂、今で言うところの“27クラブ”ってやつを知るようになってだろうか。当時はそんな言葉無かったけど、音楽を掘り下げていくと、27歳で生を全うした才能あるアーティスト達に出くわすことになった。掘って掘ってブルースまで辿り着くと、ロバート・ジョンソンがそうであって。ストーンズブライアン・ジョーンズもそう。ジミ・ヘンドリックスジャニス・ジョプリン、ジム・モリソンなどなど。僕が今更言うまでもなく、才能足る天才ミュージシャンは短命だということを強く認識するようになり。太く短く生きる美学に惚れ込んだ時期もあったはずだ。で。これらを決定づけたのは、ニルヴァーナカート・コバーンの死であった。既に僕は大学生になっていて。親父も病気がちでなんだか長生きはしねぇんじゃないかなって思い始めた頃にカートまでもが27歳で死んでしまったということ。

 

とはいえ、自分は著名人でもないし、天才アーティストでもない。ていうかだからといって短命で終わることが素晴らしいということでもなかった。しかし、カートの死を目の前にして、なんだかダラダラ生きるよりもそっちのほうがいいのかな?とか思っていた気がする。

 

そんな音楽に関わる人として、何歳まで今生を全うするか?なんてこととは別に、一個人として、夢はあれがあって、このくらいの歳に結婚とかして、とか。ぼんやりは考えていた気もする。それでも50歳まで生きている自分を想像することは出来なかったなぁ…。というのも、親父が59歳で他界したのが20代前半のころで。その生き様を息子として見ていると、やはり、僕も短命だろうなと思うようになったわけで。でももし、長く生きながらえるのならば、愛すべきジョン・レノンが亡くなった40歳くらいまでは生き延びてやろうと思い決断した気もする。

 

でも、軽々と40歳超えても生きている自分がいたわけで。うーん。40歳なりたてのころだって、50歳まで生きるかどうかなんて、50歳より先まで生きれるとも思っていなかったよなって思うわけで。

 

そしたら、昨日、50歳になっちゃったんです。

 

人生100年時代とか言うじゃないですか。なんかそういうフレーズがある。そんなのあるわけないじゃんとかつい最近まで思っていたけど、実際半世紀生きたというところまでくると、朧気ながら、“よし。人生の折り返し地点に着いたぞ”と思い始めた自分がいるのです。きっと50という数字のキリがいいのだからかもしれない。実際100歳まで生きたいとか、まあ、健康でいて結果生きれれば本望だけど、そこまで長生き目指しているわけではない。でも、今までの50年を振り返ると、なんかね。まだまだやり残したこと沢山あるよなって思えるようになってきたんですよ。ええ。30歳や40歳のころにはそんなこと思ってもみなかったけどね。ここで終わったら煮え切れねえなって思うようになったのですよね。理由は単純。だって、まだまだあるんだもの。これからがリスタートだ!!って言っても過言では無いくらい、沢山生きながら沢山やっつけたい歓びや哀しみや嬉しさや辛さや笑顔や涙や人生色々があるんだよなって、思えるようになったんです。はい。

 

50

 

思えば遠くに来ました。

人生の先輩たちから見たら、まだまだひよっこだろう。

人生の後輩からしたら、けっこういい歳になったんだろう。

 

とにもかくに。

ここまで生きながらえてきた間に関わった全ての人たちに感謝感謝です。

そしてこれからも当分生きる予定なので、これから出会う人たちにも感謝感謝です。

ありがとうありがとうです。

 

人生の節目に。

 

日記でした。

 

お粗末。

GFB`21(つくばロックフェス)を終えて。

 

 

ことしも終わりました。

GFB`21(つくばロックフェス)。

 

何を持ってもまずは、主催者の伊香賀守に感謝。
世知辛い世の中、色んな制限、規制、あれやこれや。音楽を鳴らすイベントやフェスを開催すること自体が難しい日々がずっっっっっっっっっと続いている中、開催することを可能せしめたことに心の底から感謝いたします。主催に携わったスタッフの皆様全員に感謝感謝の意を。そして、あの場に来てくれた最高のオーディエンスの皆様にも感謝感謝感謝の意を捧げます

開催してから13年目。

そして私保坂、13年連続出演ということで、ずっと出続けているのですよね。いつのまにか気づいたらそんな感じです。端から見ると「凄いっすね」ってことなんですが、なんかこの歳になるとそういう感覚も麻痺してくるもんで。言われてはじめて凄いことなのかなって思う次第でございます。

まあ、振り返れば13年前はまだ「ロック・イン・ジャパン・フェスティバル」とやらにも出演していた時期でしたから。そちらに出演し続けていながら、伊香賀に声をかけられて、二つ返事で出演することになり。当時は、つくばロックフェスに出演した後に、ジャパンフェスに出るというのがルーティーン化していましたね。でも、ロッキンに出なくなり、DJをやる頻度も減るようになり、気づいたらこのフェスでDJをやることが僕の生きる道にもなっているような気がしないでもないです。はい。

そんなこんなで、このフェスっていうのは、個人的にとっても意味深いもので。

僕の音楽人生に欠かせない人たちが未だに携わっているのでありました。

今年は久しぶりにそんな戦友、親友、仲間、たちと会話をすることが多々ありました。 

 

 saruta_natunatuna Instagramから

https://www.instagram.com/p/CRbfwoLMzcy/?utm_source=ig_web_copy_link

 

絵描きのnatunatunaのインスタ引用しました。

彼女がささっと20年間の歴史を書いてくれています。

これだけじゃないほどのみんなに出会い支えられ会いここまで来ましたが、彼女の文章を客観的に読んで、ああ、色々あったけど、20年経った今、あの場所でまだ僕は生きているし、みんなも相変わらず生きているし、音楽で繋がったみんなが生き生きとしていることにとても感慨深い思いに浸ってしまいました。

 

10年一昔といいますが。20年は二昔なんでしょかね?

 

齢、もうすぐ50歳になるという初老の男がまだDJをやっているっていう。

やりはじめのころはそんな未来を描いたこと無かったし。です。

色んなモノやヒトに感謝しなくちゃいけないなって思います。

 

 

つくばに来た人も。来れなかった人も。

来たけどDJ聞き逃した人も。来れなかったけどなんか興味ある人も。

かけたりかけなかったりしたプレイリストを公開しましたので。

梅雨明けて、本格的な夏に向けて。

あなたの日々の中にそっと鳴り響くような感じになるようであれば。

嬉しい限りでございまする。

 

追記:今年は2ブヨでした。ハッカ水かけまくったけど。刺されました…。

 

それでも…。

 

勢いで書かないと文章は劣化する。

 

書くことを生業としていると言っておきながら、相変わらず良く言えばの“マイペース”で今年最初?のブログ更新。書くことで心の中の悪や善やらいろんなことを吐き出せるのに。自身の健康を維持するためにも、文章を書くことはとても建設的なことであると思っているのに。それでもこうやって、ここ数年は、ブログの更新頻度が遅い。

 

勢いが無いわけじゃないんだ。

 

日々。特に今日。改めてまた日々の活動を制約されることとなった。画面の向こう側から切々というような。拙い感じのような。言わんとしていることは解らんでもないけれど。解りたくも無いし。極論、なにがどうなのか本当に解らない言葉が延々と続き。理解することが出来なくて。先ほどニュースでまとまった言葉たちを耳に入れ込んで。とりとめのない宣言を受け入れなくてはならないことになったのだという。勿論、受け入れなければならないのは承知の助だが。心と身体と頭。特に脳味噌が重くなってくる。うーん。なんだかなんだかもうわかりません。

 

ほら、その通りだって。間違ってない。決して。

 

ここ最近、大好きなアーティストたちが一挙に新作をリリースしてくれた。くるり、TENDOJI、YUKIweezerハナレグミ、などなど。もっと他にも沢山。片想い、小沢健二U-zhaan環ROY鎮座Dopeness、などなど。他にも沢山もっと。あったはず。今思い出せるのはこんな感じ。きっと大事な何か誰か?を忘れているかも知れない。すみません。

 

だからそれでも…。

 

音楽聴いてるとやっぱりね。音楽聴かないとそりゃそうなるよね。鳴ってるものを取り入れないとやってらんないっていうね。いつだってそうだった。今でもそうだった。野球も好きだけど、音楽はもっと好き。他にも好きなもの沢山あるけど。やっぱり音楽。

 

久しぶりのブログで。

 

ちょっとアウトプット出来たので。

 

慣らし運転終了。

 

ぼちぼちやります。

 

 

2020年の全て。

2020年が終わろうとしています。

 

みなさま、如何お過ごしでしょうか?

 

今年も相変わらず言い訳だらけの天の邪鬼で。このブログを更新する頻度は相変わらず少なくて。ほんと、やるっていいながらやらなかったことばかりで。まったく、自分の行動力のなさにいい加減嫌気がさしてきます。って。年末のこんな時期に自暴自棄になっていいのだろうか。いいでしょうに。そんな自分を怪訝な思いで眺めて、落ち込んでいるわけでもないので。ただただ、ここに言葉を記す度に、記そうとする度に、久しぶりですって思ってしまう自分にイラッとする(笑)。でもこれも性分なもんで、お許しを、って。誰もここを求めてないかもしれないんだからね。って。またこういうことを言い出すと。ここに書くことを止めてしそうなので、このへんで…。

 

2020年。

 

誰もが年初には予想もしなかった世界が始まってまだ渦中であることで。どうなることやらわからんまま今日に至る感じですよね。残りあと4日と言われても、まだまだ本当に年越しするのか?わからねぇって感じが溢れ出しますわ。なんか、今から爆睡して、夢を見て、目が覚めたら、「あのウィルスのせいで全てが様変わりした世界の日々は夢だったのか!!」と。そんなストーリーであったら、全てがうまくいくのになって。ふと思うことがある。そんなことはないって、言い聞かせて。自分がなすべくベストを行くことを思考し行動することが大事だって、思う。よ。

 

2020年。

 

毎年恒例のこの企画にまた参加しました。

 

今年のベストアルバム10枚を選びました。
いやはや。「アルバム」っていうフォーマットに則ってセレクトするということがとても重要なんだけど大変だって本当にしみじみと感じ取った今年。特にコロナ渦にて、ステイホームとやらの間に、たっくさんの音楽を聴きまくったのは確かなのだが、「1曲」 でやられてしまった感覚のほうが強かったりして。ストリーミング(※記事内ではあえて“サブスク”という言葉を使いました)世代の若人は、もうCDとやらのパッケージを買わなくなっているし。「アルバム」という作品を創り上げるアーティストの意義が問われてしまっているんだよなって、強く感じました。まあ、ヴァイナルが流行ってたり、カセットテープがリバイバルしていることもあって。そこらにアプローチしている若人は、改めてA面B面とかの存在意義を噛み締めているかも知れませんが…。

 

2020年。

からの。

2021年。

 

さあ、どうなるやら…。

まだまだだろうことは重々承知。

それでもなんとかいかんとね。

 

改めて、2020年の保坂壮彦を言葉にすると…。

“俺が俺をダメにして、俺は俺を逞しくした”

こんな感じだとおもいます。

 

2021年の保坂壮彦は…。

“愛ということを愛として愛する”

こういう言葉のあやっていうものを表すのも自分、俺、らしいかと。

 

これでいきます。はい。

 

みなさん、さあ。

今年はどうでしたか?

お元気ですか?

お元気ならば、全てOKです。

そこからはじまる生です。

 

会ったことが無い人や会い続けた人も。

また会えることを確約して、今年も終わりを迎えます。

 

それでは。

 

 

追記)

ベストアルバムのサイトにて、10枚に選ばなかった。

選べなかったではなく、敢えて、“選ばなかった”2枚を紹介して終わります。

ぶっちゃけこの2枚を聴き通せば。

この音楽だけで。

2020年の全てが語れる気がするのです。

 

 

十 [CD] (通常盤)

十 [CD] (通常盤)

  • アーティスト:中村一義
  • 発売日: 2020/02/05
  • メディア: CD
 

open.spotify.com

Ju

Ju

music.apple.com

 

 

Lives By The Sea

Lives By The Sea

  • 発売日: 2020/12/02
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

 

open.spotify.com

music.apple.com

 

 

 

日常

 

乾いている。

心が渇いている。

 

夏が終わる。

 

秋が始まる。

 

会いたい。

普通に会いたい。

 

普通がない。

 

新しい普通が生まれたという。

 

それとともに行けという。

 

なんでこうなったんだろうか。

 

疑問だ。

 

当たり前だったことが普通じゃないってことになって。

 

こんな日常に。

 

全く重力を感じない人はいないと思いたい。

 

変化に適応することと、変化を鈍化させることは違う。

 

ましてや。

 

あったことを忘れることは、心身を強靭にしてしまう。

 

甲冑きてる裸の王様だ。

 

なれないよ。

 

馴れないよ。

 

慣れないよ。

 

でも、成らないといけないんだって。

 

だから、言葉が重くって。

 

重すぎて下半身に溜まりすぎて。

 

文章を書くことが。

 

充填された言葉の吸引力を取り戻せなかった。

 

でもすこし。

 

循環してきそうで。

 

脳天から突き刺さる光。

 

それだ。

 

書く。

 

書くことをやめないって書くことを書いた。

 

書いてみた。

 

みた。

 

ずるいよ、くるり。

 

悶々とした日々が延々と続いている。音楽を聴こうにも、主体的に聴こうとする音楽をセレクトする気が起きなくて。ラジオステーションから流れる音楽に身を委ねてみる。そこで流れる音楽は、生温い、「癒し」と言われるような、「心地よいでしょう、これ」というような音楽が垂れ流されていて、疲弊する。自分でセレクト出来ないくせに、人にセレクトを委ねても結局フィットしないんだなって。どうしたものかと…。

 

音楽というものは。太古の昔に言語が無かった時代にコミュニケーションとして鳴らされた音楽以降、大衆に向けてクリエイトされた音楽というものが確立された以降の音楽というものは、いつだってそれらの過去の遺産を引用し、音楽の系譜を綴ることに敬意の念を抱きつつ、今ここにいるアーティストが試行錯誤して、今だからこそ鳴らせるテクニックと手法と思想と感情を乗っけて生み出すというサイクルを続けて行くんだよなということを思いだして。それを確立したアーティストである、全世界のポップミュージック、ロックンロールの原点である、ビートルズローリングストーンズの音源を貪り聴き漁ることにした。

 

そんな僕の耳に昨夜飛び込んできた、くるりの『thaw』。

 

「さっきの女の子」〜「人間通」。

 

この2曲を聴いてぶっ飛んだ。

 

「ずるいよ、くるり。」って。

 

1stアルバム『さよならストレンジャー』のリリース時にあてられた、「すごいぞ、くるり」っていうのを思いだして呟いた言葉ではなく、本気でずるいよって思ったんです。

 

既に聴いたみんなは、それぞれ『thaw』収録楽曲にて、色んな楽曲にあれやこれや。これが好き、あれが好きと思いを馳せていると思うのだが。そんな、いちリスナーの人間として。僕は、「さっきの女の子」〜「人間通」。この2曲にぶっ飛ばされてしまったんです。この2曲とも、過去にリリースされた『ベスト オブ くるり / TOWER OF MUSIC LOVER』の初回限定盤にのみ収録されていて。既知の楽曲。「さっきの女の子」は、くるりがこんな脳天気なロックンロールを鳴らすなんて!って。そのギャップにやられたから大好きになったのだ。「人間通」なんかはもう、狂気の沙汰だよなと。でも、溢れんばかりの魂のエモーションの爆発と実験的楽曲構成を保つ為の歪みが狂おしいほど愛おしく感じていたのです。

 

そんな2曲を聴いて。

目の前に広がる悶々と延々が弾け飛んだんです。

 

下世話と狂気。

 

理性で抑えきれない下世話な思いと。

理屈で抑えきれないアドレナリンよ。

 

この2つだけで、視界がひらけたんだわ。

 

まだまだいけるかって。

 

くるりっていうバンドは。

 

行き先があるのかないのかわからないけど。

 

ならば、行けよっていうことなんだよね。

 

行ったら、幸せがあるよじゃないんだよね。

 

今の混沌を浄化するわけでもないんだよね。

 

普通が普通として蔓延しているときにはあまり気づかない。

 

普通が歪んでしまったときに、気づかされることがおおいんだ。

 

ほんと、ずるいわ、くるり

 

だからこそ、ありがとう、くるり

 

これ以上の。

 

音楽を言葉で説明するのは。

 

創り手、岸田君の『thaw』ライナーノーツにて。

 

是非。